〈1〉「ベルナール・ビュフェ美術館」
画像は『ベルナール・ビュフェ美術館』よりお借りしました。 |
先日静岡県の長泉町にある「クレマチスの丘」に行ってきました。
限りない可能性を持った私たちは、死に向かう限りある命という舟にのる旅人のようなもので、旅が終わるまで命を輝かせたいものです。そう感じた小さな旅行でした。
まずはいちばんのお目当て、「ベルナール・ビュフェ美術館」です。
クレマチスの丘は大きく2つのエリアに分かれていて、西側がベルナール・ビュフェ美術館と長泉町の運営する井上靖文学館を含む居留地のビュフェエリアと、ジュリア―ノ・ヴァンジの個人美術館や伊豆フォトミュージアム、クレマチスガーデンなどを有したクレマチスガーデンエリアで構成されています。
クレマチスガーデンエリアはその一帯が彫刻の展示場となっており、クレマチスなどの花もたっぷりと植えられて散策するにはにはとても気持ちの良いところでした。こちらは入園料が必要です。
ビュフェエリアはベルナール・ビュフェ美術館には入館料が必要ですがその丘陵地は無料で開放されています。長い吊り橋やアップダウンがある林道などがあって親子連れの方が虫取りなどを楽しんでいました。
吊り橋、結構揺れて雰囲気あります |
のんびりとお花を見れるのならクレマチスガーデンエリア、少しやんちゃに遊ぶのであればビュフェエリアが向いていると思います。もちろん双方を楽しんでも良いのですがかなり体力が必要だと思います。
さて、ベルナール・ビュフェ美術館ですが、意外に程に広くビュフェの作品も多く展示されています。ビュフェの作品は通年、テーマを決めて展示しているようです。
ベルナール・ビュフェは二十世紀後半に活躍した画家で、色彩を抑え、平面的な表現に個人や社会の不安や葛藤を描き出した画家だと私は思っています。
若き日のビュフェ、いい男ですな。 『ベルナール・ビュフェ1945‐1999』 P6より撮影 |
強い線と内面を描いていると思わせる絵はドイツ表現主義を思わせるもので、不穏な空気、不安をあおるような静かでありながら挑戦的な表現も共通しています。
ビュフェはその描き方と同時にモチーフによっても鑑賞者に思考を促します。キリストの奇跡や受難であったり、ドン・キホーテの一場面などの絵は強くこちらに迫ります。
『ベルナール・ビュフェ1945‐1999』 P37より撮影 |
すべての芸術はその意味の一つに鑑賞者自身の内面を見つめる作用があると思います。楽しい絵は自らの喜びを、悲しい絵は自らの慈悲の心を見つめるきっかけになると思うのです。
ビュフェの時間の止まったような画面の中にいる人や物は、命をその強い輪郭線に抑え込まれ死に至る、朽ちるまでの時を待つような静寂に佇んでいるのです。
私はその静寂の中に身を置き、不穏な時代、不安な心とどう向き合うのかを考えます。
メメントモリ、死に向かうことが命の真実の一つであることを強く意識させられると同時に、静寂のときのなか、生きている人々、朽ち行く静物は変化をしていく。すなわち命は連綿と続くのだということも感じさせられるのです。
『ベルナール・ビュフェ1945‐1999』 P149より撮影 |
決して明るくはないこの絵ですが、有限の命を見つめることを促してくれます。
心がポジティブな状態でいるときに命や自分自身の来し方行く末を考えるきっかけとなる絵と言えると思うのです。
ベルナール・ビュフェ美術館を堪能して一首。
「太き線死する者たち囲いこみ命のがさぬベルナール・ビュフェ」
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