今年はじめて紫陽花の花を見ました

 ―川べりの無住の寺の門のわき光りさしをる紫陽花わらふ― 啓

誰かが「水を具体化した花」と言っていました。
ぴったりで素敵な表現ですよねえ。

今日、今年初めて紫陽花の花を見ました。何ともいえない透明感のある花で、私は大好きなのです。

よく、「花は誰に見せるともなく咲く」と言いますが、私は花って「みてみて、こんなにきれいに咲いたの、ねえ、見てちょうだい」と言っているように思うのです。

そう思っているのは私だけではないようで、中世古代では花が咲くことを「笑ふ」「笑む」と言いました。笑顔はコミュニケーションにおけることが多いですよね。古代人、中世の人々はきっと花は微笑みかけているのだと感じたのでしょう。

石楠花、もっちりとして
可愛らしいです。


まあ、でも花は言葉を使わないので、どちらなのかは見る人の心で決まるのです。そしてどちらであっても花は心に潤いをもたらせてくれます。



高名な精神科医で随筆家でもあった斎藤茂太は「他人に花をもたせよう。自分に花の香りが残る」と言っています。素敵な言葉ですよね。


クレマチスの丘」のクレマチスです。
花はまた、散る悲しささみしさ、切なさがあるからいいのです。美しさはいつか果てる。でもそれは心にはずっとずっと残るのです。たぶん、散るからこそ残るのです。


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