人の特性やら役割やら、そんなこんなをふと思いました。

 ―花むぐりそうびの蕊にもぐりをりその奥の世にいかむとするか―啓―


 今日、黄色い薔薇の花の中にハナムグリがいまして、蕊をかき分けかき分け無心に蜜を求めていました。それが午前十時ごろ。


 お昼近くにその薔薇を見たら、まだいるのです。二時間ほどずっと黄色い薔薇の中に緑色の小さな甲虫がもぞもぞもぞもぞしていたのです。

 ふと、自分に置き換えて考えたのですが、ハナムグリの寿命は意外に長くて、それでも昆虫ですから二年ほどだそうです。二年の寿命のうち二時間も食事に費やす。しかもその二時間というのはたまたま私が見ていたのであって、たぶんこのきれいな金属的なつやの甲虫は生きているほとんどの時間を食事に使っているのでしょう。そして時が満ちれば生殖行為をおこない、土へと帰っていく。

 もし人がほとんどの時間を食事に費やすのだとしたらどうでしょう。私なら考えただけでめまいがします。自分のことであっても想像するのも恐ろしいですし、他者がそうだとしたら見るのもなんとなく嫌だろうと思います。

 ではなぜハナムグリが蜜をもとめている姿はむしろ可愛らしいのでしょう。

 それはその命の役割を担っているかどうかだと思うのです。

 ハナムグリは花の蜜を求めるときに、花粉を体中に着けて受粉の担い手になっています。花々の生殖にかかわりを持ち、自らの子孫を残すことがハナムグリの命の意味なのです。

 いわば受粉のお手伝いが特性、種の保存と繁栄が役割といえばいいでしょうか。その特性と役割を無心に行っている緑の虫はだから可愛らしいのではないでしょうか?

 

仏教の祖、ガウタマ・シッタールダは
仏法僧を後世に残しました。


 人はどうでしょう? 自分が人だからあまり不思議に思いませんが、人は極めて不思議な生き物です。ないものを想像することができる。血縁でない他者に感情移入ができる。これらは人の特性だと思います。

 では人の役割は何でしょう? もちろん種の保存と繁栄は役割としてあります。けれども人ならではの役割は伝承ではないでしょうか? 子孫を残さなくとも自らの思考や思いを連綿と伝えていく。それが想像と感情を持った人の、人だけが持つ役割の大きな一つではないでしょうか?

 だとすればその伝承は他者のためになること、他者の微笑みを呼び出すことのほうがもちろん望ましいのではないでしょうか。

 言葉、態度、行動、それらによって人は人からなにかを感じて、自分のなかに何かを植えるのです。そう考えると毎日が素晴らしい可能性の日々であることがわかります。


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