―西行の庵を求め旅に出るなにを捨てしか歌詠み僧都―啓―
おそめのお昼をいただいて、さて、上千本、奥千本へ出発です。
花矢倉から北を望む。 小さく二上山、葛城山脈が見えます。 |
てくてくと歩いて、花矢倉と呼ばれる展望のきく場所に立ち寄りつつ、進むと急な階段のなかばに鳥居を持つ神社、吉野水分(よしのみくまり)神社が姿をあらわします。
無住の社で、創建は不明、ただ続日本紀には文武二年(698年)にこの社のことが書かれているそうです。
吉野水分神社 http://www.yoshinoyama-sakura.jp/temple/t_mikumari.php |
水をつかさどる社らしく、しっとりとした空気に包まれた境内に流れる時間は、まるで水を含んだようにゆっくりと流れています。怖いとか不気味とかではない、「畏れ」を感じさせる神社でした。
さてさて、今回の旅の目的の一つ西行庵に向かいます。よく西行法師のことを「世捨て人」などと言いますが、私にはとてもそうは思えないのです。御所を守る武士であった西行はその立場を捨てて僧になります。それは「仏法僧」に身を置き、極限まで欲を捨てて、そこに残った自分の欲を見つめつつ、歌を詠んだのだと思うのです。聞こえぬ花の声を聞き、意思なき風の意思を求めて旅を続けて歌を詠んだのでしょう。
―あくがるる心はさても山桜散りなんのちや身に帰るべき―西行
西行庵です。山の奥も奥、ここにいたら 山、雲、空、月の声も聞こえるでしょうね。 |
「さまよいさすらう心も山桜が散ったら自分に戻ってきてくれないものかね」
そんな意味でしょうか。
西行は桜に己を同化させるのは恐れたのです。自分の命のある限り桜を愛で、桜にまみれて生きていきたかったのでしょう。私には自分の心、欲に真正直に生きた人生と見えるのです。
生粋の歌人としての存在は、その極端な純粋性の発露だと思います。
そして自らの命が果てるときも、桜にまみれて骸を隠してほしいのです。
―願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ―
西行庵の中にいる西行サン、こわもてですな。 |
桜にまみれ、如月の望月、つまり二月の十五日ごろに死にたいと言っているのですが、桜を望むのはわかります。西行サン、さらに望月、つまり満月が自分を照らしてくれと言っており、さらには二月の望月、つまり十五日というのは釈迦入滅の日でもあります。桜、満月、仏陀とおそろいの命日を望む。いや、欲を持つのだったらこう言った欲をもちたいものです。
美に取りつかれた人生、最高ですよね。
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