―世を捨てし桜狂いを追ふ旅は水無月のそら雨に紫陽花―啓―
今度の金土日と旅行に、奈良の南、吉野に行ってきます。
お目当ては西行法師と役小角です。じいさん二人を追う、おっさんの旅です。西行さんです。「お爺さんオブジイヤー」
なんて賞があれば満場一致で受賞ですよね。
吉野山の奥に西行法師が庵を結び、三年ほど住んだといわれています。
西行は面白い人で、「吉野山梢の花を見し日より心は身にもそはずなりにき」とあられもなく桜への偏愛を吐露したかと思うと「あくがるる心はさてもやまざくら散りなんのちや身にかへるべき」と桜が散ったのちに自らの心は自らに帰ってきてほしいと歌います。
自分の執着をしりつつ、執着の元からの脱却が執着になっていることを赤裸々に歌う、そこが面白く人間臭いと思うのです。
さらに古代中世の人は皆そうでしょうけれども、神仏をあまり厳格に分けません。西行は伊勢に参拝した際「何事のおわしますかは 知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と歌っています。西行の宗教観が垣間見ることのできる歌です。
西行が自らの矛盾や執着を抱きつつ歩いたであろう吉野山を歩き、踏んだであろう道を踏みに行くのです。
ああ、楽しみ。
三日間、世を捨てます。
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