ぎゃあていぎゃあてい 般若心経

 

―歌のごとはらそうぎやあてぼじそわか訳さず訳せずかたじけなく―啓―

 

いちばん有名で一番人気のあるお経、般若心経について、私なりにちょっと考えてみました。

二百六十六文字の短いお経ですが、いろいろな解釈を受け止める懐の広いお経でもあります。

般若心経は略した言い方で、正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)」と言います。摩訶は「大きな」、般若波羅蜜多「最高の徳」「彼岸にいる」「悟りの境地」といったところでしょうか、まあ「偉大な悟りの境地の経」ととらえれば大きくはなれてはいないと思います。

 般若波羅蜜多の状態に観音さまがいるときに、すべてのものは〈空〉であり実体はないのだ、それがわかったとき観音さまは苦しみから逃れられた、と始まります。

奈良の薬師寺です
。写経といえば
このお寺ですよね。https://yakushiji.or.jp/

 で、観音さま、近くにいる仏陀十大弟子のひとり、知恵第一と言われる舎利子(しゃりし)に「おい、俺、いますげえこと悟ったけど聞く?」と語りかけます。「実体のあるものは実際には実体を持っておらず、実体のないものの実際は実体を持っている。そんなこと知ってた?」と。

 これは時間のことを言っているのだと思います。命のあるものはいつか死に、土にかえります。実体がなくなるのです。でもその命がいたことは事実なのです。また、風はどうでしょう? 風が吹けば髪をゆらして、頬を撫でます。野分のような風ならば人にたたらを踏ませるでしょう。でもそれは空気なのです。凪いでいれば、まさに「空」なのです。

 一つの風が実は世界を覆う空気の一部であり、それがつながっている。それは多分、命もそうなのだと思うのです。一つの命は一つの風と同じなのです。親しい人の死は苦しいものです。でもそれは風が凪いだのと同じで、大きなところに帰ったことにほかなりません。その大きなところに誰もがいつか、行くのです。

般若心経は「否定のお経」とも言われていて、「無」「不」「空」といった否定の文字が三十七文字もつかわれていて、実際にこのあと否定否定二重否定とたたみかけるように否定を続けていきます。

生まれず、死なず。

汚れはなく、清くもなく。

増えもせず、減りもしない。

それが世界のあり方だというのです。さらに続けて次のように言います。

人に愚かさはなく、人の愚かさがなくなるということもない。

これなどは個と公を言っているのかな、と思います。個人の意見が賢しくとも集団になるとそうではない。個々の誤りがあっても公、集団としては正しく進んでいる。そういうことも多いと思います。

仏さまは私たちを助けてはくれません。
見つめてくれている、それが仏さまなのです。
そうしてこのお経のいちばん有名なフレーズがあらわれて、幕を閉じます。

「ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあていはらそうぎゃあていぼじそわか」

これはサンスクリットの発音だそうで、漢語に訳せなかったそうです。あえて言えば、「旅する人よ、旅する人よ、あなたに慈悲のあらんことを」と、こんな感じになります。

般若心経は生きること、生き続けていく人々への優しくて厳しいエールなのです。

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